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言葉の大切さ!

2014年01月07日(火)

新年、あけましておめでとうございます。
寒い日が続いていますね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、
皆さんが、毎日悩んでおられるのは、どんなことでしょう?

金策(!)や、試験勉強、病との格闘など種々あると思いますが、どんな困難を乗り越えても、人間関係の悩み・・・という人は、多いのではないでしょうか。

人間関係の多くは「言葉遣い」によって決まるとも言われています。
「言葉で人生が決まる」とか「大人の会話力」といったテーマの本は、書店でもよく見かけます。

たしかに、わたくしたち・・・ちょっとした言葉で、傷つくものです。

「口(くち)に、四悪(しあく)を好むなり」といわれ、
お釈迦さまは、口(くち)で4つの悪を造ると教えられています。

綺語(きご)
両舌(りょうぜつ)
悪口(あっこう)
妄語(もうご)

の4つです。

綺語(きご)とは、おべっかのことで、心にもない、お世辞をいうことです。

「口に蜜あり、腹に剣あり」とも、いわれるように、甘い言葉の奥に、金や、出世の策略がめぐらされているものです。
「下いびりのよへつらい」という言葉もあります。
部下や、周りの人に毒舌、上司には甘言でこびる醜さは、他人には見えても、自分ではなかなか気づかぬものです。

両舌(りょうぜつ)とは、二枚舌とも言われます。

A子さんと、B子さんがとても仲良くしていて、しゃくにさわるので、一方には、「B子が、あなたのことこんな風に言ってたわ」と吹き込み、もう一方には、「ねえ聞いて。A子ったら、あなたのことを・・・」と言う。
最初は、「まさか」と思うのですが、やがて疑心暗鬼が生じ、関係がギクシャクしてきます。
それを見て、「しめしめ」と、ほくそえむ。こんなものを「両舌」というのです。
仲違いさせるので「離間後(りかんご)」ともいわれます。
恐ろしいですね。
「誰々が、こんなことを言っていたわ」と、持ちかけてくる人には、要注意です。
また、自覚していないだけで、自分もこのようなことを言ってるのでしょうから・・・気をつけたいものです。

悪口(あっこう)とは、文字どおり、「わるぐち」のことです。

心ない一言や、悪意に満ちた言葉は、「舌刀(ぜっとう)」となって、深く、人を傷つけます。
こんな話が伝えられています。

昔、丹波(京都)に100歳を超えた老婆がいた。
「いちばん思い出深い話は?」との問いに、「もう何もかも忘れてしまったが、24回殺されたことだけは、忘れられん。」
どういうことかと尋ねると、悲しげに老婆が言う。
「ワシの家では、子や孫が先立ち、24度の葬式を出した。そのたびに参列者が、
『ここの 婆さんと代わっておれば・・・』と言ったのじゃ。そのつど、ワシは殺された」
言ったほうは自覚がなくても、言われた方は死ぬまで、忘れられないものでしょう。

私たちも、知らずに、言葉で、どれだけ人を殺していることでしょうか。
イジメでも、言葉の暴力が、問題視されています。
特にインターネットでは、「無法地帯」といわれます。
「匿名」なので、本性がむき出しになり、無責任な非難や、辛辣な攻撃をする人間へと、変貌してしまうのでしょう。
集団化もしやすく、安易に中傷サイトを見ていると、「語?(ごさつ)」の共犯者になりかねません。「共犯」であっても、その報いは、一人ひとりが、受けていかねばなりません。

妄語(もうご)とは、事実無根のウソをつくことです。

「私はウソを申しません」と言った政治家がありましたが、これほどの大ウソはないでしょう。

お釈迦さまは、経典に、「心口各異(しんくかくい) 語念無実(ごねんむじつ)」と説かれています。
「心」で思っていることと、「口」で言っていることが、異なる。だから、いずれも真実はない。
これが、私たちの真実の姿だと、教えられているのです。

私たちは、あまりにも平気で、四六時中にウソばかりついているので、
「醜い」という感覚が麻痺してしまって、ウソをついているという自覚すら、ありません。
自分のことでありながら、わたくしたち、自惚れでいっぱいで「我が身知らず」なのではないでしょうか。

しかし、真実の、自分の姿を知らされねば本当の幸福にはなれませんから、
お釈迦さまは、本当の私たちのすがたを、教えられているのです。

今年は、どうか言葉使いに、気をつけてみてはいかがですか?
私も頑張ります!