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結縁(けちえん)の集い・ 縁(えにし)の糸

2015年06月23日(火)

今週月曜日、「光祥さまとの結縁の集い」が催されました。光祥さまが本校におこしくださり、法座のなかで親しく学生にいくつもの貴重なお言葉をくださいました。学生一人一人が、日頃心に抱いている悩みや思いを率直に話し、それに対して、光祥さまも率直に、開祖さまのお言葉や、ご自身の子どもさんとの関わりなどに触れながら、ユーモアも交ながら、温かいまなざしとお言葉を本校の学生に「?(そそいで)」下さいました。光祥さま、有り難うございました。

ところで・・・

「結縁の集い」というタイトルに因んで「縁」という文字から思い出すことを述べてみたいとおもいます。

まずは、昔から伝えられている有名な言葉、「袖振り合うも多生の縁」(そでふりあうもたしょうのえん)。人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い前世からの因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えにもとづく昔からの言い伝えです。

先日の朝礼で、大谷津校長先生が、このことを「対面同座五百生」という言葉に触れてお話ししてくださいました。「たまたま向かい合って座った人も、数え切れないほど何度も過去の世で関わりをもってきた」ということですね。

「縁」ということを歌った素晴らしい歌があります。竹内まりやさんの「縁(えにし)の糸」という歌です。かつてNHKの連続ドラマのテーマ曲でした。

  「袖振り合うも多生(たしょう)の縁」と
  古(いにしえ)からの伝えどおり
  この世で出逢う人とはすべて 
  見えぬ糸でつながってる

  天が描いた シナリオに沿い 
  あなたと私知り合うの
  時に愛して 時には泣いて 
  やがて固い絆へと
  どんなに細い縁(えにし)の糸も 
  物語運んでくる

  「つまずく石も縁の端」なら 
  今日すれちがう旅人が
  ふと投げかけた微笑みさえも 
  運命からのプレゼント

そう言えば、私たちが毎日読むお経にも、例えば、こんなくだりがありました。

「昔、出会う人はだれでも『あなたは仏になる人です』といって合掌礼拝した常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という人がいました。じつはその常不軽菩薩は、私(お釈迦さまご自身)の前の世の姿であり、合掌礼拝された人たちが、今私の目の前にいる皆さんなのです!

光祥さまのお話しのなかで、繰り返し強調されていたことがありました。

それは「出会う縁によって自分の心のなかに様々な気持ちが起こってくる。その自分を一つ一つ丁寧に見つめていくこと、観察していくことがとても大切」ということでした。

「古(いにしえ)からの伝えどおり」、ちょっと出会った人とも、過去にきっとなみなみならぬ特別な関わりがあって、だから、いま湧いてきたこの気持ちも、きっと、私自身にとってとても深くて大切な意味があるのですね。

このように、縁をとおして自分を見つめ、気づき、感謝していく、そんな人生をこれから送って行きたいと思わせていただきました。

合掌