佼成3月号かみしめ
2月19日の合同朝礼の中で、校長先生より佼成3月号のかみしめをいただきました。
【抜粋】
2月15日までの教会実習を終えた皆さん、おかえりなさい、お疲れさまでした。さて、今年度の最後になりますが、3月号の会長先生のご法話を拝読させていただきます。
「慎み」と聞くと、生活の中で大切にする規範と受け止められがちですが、今回のご法話のタイトルで『「慎み」は、「慈しみ」から』とあるように、「慎み」をお釈迦さまの教えと照らし合わせて教えてくださっています。「慎み」を考える上で、お釈迦さまの行動や言動の規範となっている「慈しみ」を気に留めながら、仏さまの教えをいただいている私たちが、仏さまのようになれるように、意識を持って実践していくことの大切さを教えてくださっていると思います。
仏さまの教えを意識しないで、自分の都合のいいようにだけ生きていると、どれだけ人さまに迷惑をかけているのか気が付かないまま過ごしてしまうことがあるかもしれません。悟りへの途上にいる自分自身をよく知り、「だからこそ仏の教えを学び実践していこう」という意識を持つことによって「慎み」がより深くなっていくのだと思います。
このご法話では、「身近な実践から世界の問題まで」というサブタイトルがあります。芳澍女学院では、専門学校生として専門職を学び現実の社会で人さまにどのように役に立つ人になるかという意識を高めていく一方で、人間教育で学んでいるように「宗教」というカテゴリーで世界平和にどう貢献できるかという意識も植え付けます。
また、ご法話では「形骸化」という言葉も出てきます。会長先生からの説明はありますが、私なりにどう理解しているかというと、「人間として生まれたことだけに満足するのではなく、人間としてふさわしい自分になっているかどうか」を考えるきっかけがこの形骸化という言葉だということです。見た目は立派だけど、中身は何にもない人はとっても残念です。そういう人間はなりたくないです。本人は何か満足している部分もあるかもしれませんが、内側から滲み出るかっこよさが自然と見た目に反映されるもので、見た目だけにこだわると形骸化していくことにつながるかなと思います。
形骸化を脱出するには「とにかくやってみる」という姿勢が大事だと思っています。それができているかと問われても、「はい、そうです」とはなかなか言えない部分もあって、これを言っている自分が恥ずかしいですが、自身の中では「とにかくやってみる」ことは大事にしている視点です。
「とにかくやってみる」を別の言葉で、「気概をもって一歩踏み出していく」と表すこともできるとも思います。
人生を浮き沈みなく一定のペースで歩み続けるということは不可能ではあるけれど、どこかで自分の人生をかける機会に出会ったときに、思い切って人生をかける思いで一歩を踏み出すことができるかどうか。実は、その準備をしていくことはとても大事であると思っています。その準備をするのがこの芳澍でもあると思います。
いつ、その時が来るのか?それは誰にも分りません。それを判断するのは、わたくしも含めて皆さん一人ひとりです。ここ芳澍での学びを通して、ご法を生かした人生は何なるものかを学んでいると、ここだって思うときがきっと来るはずです。この2年間でその時が来るとは限りません。卒業後かもしれません。繰り返しますが、その判断を下すのは皆さん自身です。そのために、自分の心を整えることはとっても大切だと思います。
最後に、2年生はもうすぐ卒業式を迎えます。この2年間本当によく頑張り、成長しました。皆さんの旅立ちを校長として胸を張ってお送りしたいと思います。また、1年生の皆さん、この一年間よく頑張りました。4月には後輩たちが入ってきますが、またよろしくお願いします。