「○○のせい」「○○のおかげ」
2023年04月02日(日)
18年前、私は3科合同入林式の前日に自転車で事故に遭い、骨折しました。
骨折のせいで当然入林式には出席することができず、2週間ほど休み、
教職員や学生の皆さまに多大な迷惑をかけました。
もちろん、自分自身も2週間分の遅れを取り戻すのに大変苦労しました。
あれから18年。
久しぶりの3科合同の入林式を前に、私は新型コロナ(以下単に「コロナ」)に感染しました。
コロナのせいで1週間の自宅療養が必要となり、 教職員の皆さまに再び迷惑をかけている最中です。
しかし、今は18年前とは大きく異なります。自宅に居ながらにして
・Gmailやチャットで仕事の報連相ができる
・Googleドライブ上の業務に必要な書類を自由に閲覧/編集できる
・Zoomを使って入林式にも参加できる
ようになりました。ツールのおかげで、学生にはほぼ迷惑をかけずに済みそうです。
これらのツールが芳澍でも使えるのは、コロナがあったからです。
Gmailこそコロナ禍前から利用していましたが、
学生との連絡のツールとしての地位が確立したのはコロナのおかげです。
「ましてや他のツールをや」です。
実は18年前の入林式は、長男の入園式と重なっていました。
骨折のせいで入林式への出席はかないませんでしたが、
骨折のおかげで、入園式に出席することができたのです。
実は今年の入林式は、出身教会の周年記念と重なっていました。
コロナのせいでリアルでの出席はかないませんでしたが、
コロナのおかげで両方に出席することができたのです。
「○○のせい」「○○のおかげ」とよく言います。
自分(因)に出会った現象(縁)が
・いいと思う…「○○のせい」
・悪いと思う…「○○のおかげ」
と言い分けているだけのことです。そして、それを決めるのは自分自身です。
「コロナのおかげ」などと言うと、「亡くなった人もいるのに不謹慎ではないか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。ましてや、身近な方を亡くしていればなおさらでしょう。
もちろん、「コロナのせい」と思っている人に「コロナのおかげ」と思うことを強要しているわけではありません。ただ、身近な人で言えば、私もコロナ禍の最中に父を亡くしています。ワクチン接種から1ヶ月以内の突然の死でした。私は「コロナのせい」「ワクチンのせい」だと思っています。
それでもなお「コロナのおかげ」と思うことができるということです。
お釈迦さまが「提婆達多のおかげ」とおっしゃったように。