「お世話をするということ」
2014年01月28日(火)
佼成2月号の会長先生のご法話は「お世話になる、ということ」ですが、
このご法話を拝読させて頂いていて思い出したことがありました。
もう20年ほど前ですが、お姑さんが大病のため自宅で療養していたときです。
日頃の義母は自分のことは後回しで、いつも遊びに来た私たちのことや当時同居していた義祖母のことを気遣ってくれる人でした。
義母の看病のため子供と一緒に引っ越し同居を始めた私は、義母のためというよりは自分が失敗して注意を受けないことを第一にしていました。
ある日義父が義母へのお土産に買ってきた富山の「ますの寿し」を食べてもらおうと、端から一口ずつ義母の口に運ぼうとしたら「そんな、はじっこじゃなく、真ん中のもっといいとこちょうだい!」と言われびっくり!!
普段の義母からは想像もできない言葉だったのです。
でもその言葉は、「なんとしても良くなりたい、そのために少しでも栄養をつけなきゃ!」という思いの表れでした。
私は頭を殴られたような衝撃を受け、同時にそれまでの自分の水くささに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
その後は義母の顔色を伺うような気持ちがなくなり、自分がいいと思ったことはどんどんさせてもらい、義母との距離がぐっと縮まりました。
しかし、その一月後の4月8日の降誕会に義母は旅立ちました。
義母から頂いたものを今も思い出しては、感謝の気持ちを新たにし、未熟な自分に叱咤している私です。