旅立ちの3月
卒業式シーズンの3月…
芳澍生の卒業式は、毎年ひなまつりにあわせて実施されるということで、早々と“可能性をもった学生たち”が巣立っていきました。街では卒業式を終えた袴姿の若者を見ると、いいもんだなぁと思いながら、顔がほころんでくる今日この頃。
私の息子が通う小学校でも、つい先日、卒業式がありました。PTAのお役を頂いている私も来賓席での初参加をしたわけですが、まず花粉症予備軍ということを忘れて、ティッシュを忘れたことを思いだし、急遽近くの方に1枚頂き、ハンカチは持参しているし、準備OK!
と、思いきや、「卒業生入場!」の発生と同時に、先生のピアノ伴奏とともに在校生によるリコーダー演奏の中を、誇らしげに歩いてくる子供たちの姿を見ただけで、涙がほろり。
こんな調子で、私のあいさつの時までに、顔はもつのだろうか…と不安がチラリ。小学校の先生方は、どなたも慣れているのか、こんなことぐらいではもちろん泣いてはいません。
そして、式次第は卒業証書授与へ。一人ひとり壇上で、こちらを向いて中学校でやりたいこと、頑張りたいことなど抱負を発表してから授与。3人目あたりからは、オルゴール曲のBGMの中、一人残らず、マイクなしでも体育館の後ろまでしっかり聞こえるほどの堂々とした声で発表ができていました。ここまでまた、ほろり。私はきっと効果音があるととびきり涙腺がゆるむんだな…と自覚。
このあたりで、私は自分の用意してきた「やっつけ仕事のような祝辞」を書き直したくて仕方がない気持ちになりました。もちろんやっつけ仕事でも、なんでも自分なりにいろいろと配慮して作成したつもりではいました。でも、芳澍生の卒業式でも実感しましたが、芳澍生にとっては、一人ひとりの約20年間の人生の重みが集大成としてこの日にあり、小学生にとっては、約12年の様々な人生の経験の集大成がここにあるんだと。「たかが12年、されど12年」の重みに対し、私は、はなむけの言葉を送る側としてもっと心を尽くすべきだったと。
急遽、一言だけ、式辞用紙にはない言葉を加えたのですが…、それほど大きく流れを変えることはできず、また長くならないことも私のポイントにしていたので、ここは私の反省として、これまたいい勉強になりました。
式は、卒業生・在校生の歌と言葉へと続き、私の涙は最後まで、ひたひたと流れ続けるのでした。「こんなことやってられるか!!調」のやる気のなさそうな子など一人もいなくて、どの子にもこんなに素直で純真な気持ちと、無限の可能性があるんだということを目の当たりにした日でした。
人生の門出、節目に立ち会えるのって、幸せなことだと思えた3月でした。