「泥かぶら」と開祖さま
「劇団 新制作座」
http://www.shinseisakuza.com/
の「泥かぶら」を、学生全員と引率の教職員とで見に行きました。
朝日新聞でも紹介されました。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12006552.html
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あらすじは
http://mugikiri.exblog.jp/8440885
にあります。かいつまんで紹介すると
顔の醜さゆえに、「泥かぶら」と呼ばれ、いじめられて心がすさんでいた少女が老法師に出会い、
1.自分の醜さを恥じないこと
2.いつもにっこりと笑っていること
3.人の身になって思うこと
という3つを守れば村一番の美人になれると言われ、それを実践することによって、苛めていた子供たち、村人、ついには人買いの心までも変えてしまうという物語です。
私がまず思ったのは、「『馬鹿になる』とはこういうことなんだな」ということです。
庄屋の娘のことを「いつも私を苛める上、自分に濡れ衣を着せようとしている子」と見るのではなく、「鞭を持ったお父さんに追いかけられているかわいそうな子」と、今のありのままだけを見て代わりに鞭を受ける。
人買いのことを「かつて自分を川に突き落として死にそうな目に遭わせた憎い相手」とみるのではなく、連れて行かれそうな娘の代わりに「その子の代わりに私を連れて行ってくれ。」と申し出る。
売り飛ばされたらどうなるかという未来を考え込むのではなく、初めて見る村の外の世界という現在を楽しむ。
なまじ知恵があると過去や未来、自分の損得にとらわれる。それらを捨て、現在を、人さまのために役に立つように生きること。それが美しくなるための秘訣なのだと思いました。
さらに、「泥かぶらの生き方は開祖さまと同じなのではないか」と思いました。
おじいさんや校長先生の教えを素直に信じて実践する。
「立正佼成会をもととして法華経が世界万国に弘まるべし」といった、当時としては雲をも掴むような神示でも素直に信じる(そして本当にそうなりつつある!)。
宗教の名の下に戦争が行われてきた過去にとらわれるのではなく、宗教協力はできると確信し、WCRP(世界宗教者平和会議、現在はRFP)を創立される。
イランアメリカ大使館人質事件があった際には、自らが人質となる覚悟でイランに乗り込む。
そして、人を引きつけずにはいられないその笑顔。
まさに、「泥かぶら」の生き方を地で行かれたのが開祖さまなのだと、このブログを書くことを通して、改めて感じさせて頂きました。